先に書きにくいことを書いていくスタイル

最初の記事を書いて自分の意欲の勢いが残るうちに1記事書いてしまいます。

 

twitterだと個人的に描きにくいこと>最初の記事【はじめに軽く】より

 

 

と、書いていましたが私には生まれつきの持病【慢性腎臓病】を抱えて20数年来歩んできました。

どんな病気かというと、腎臓の機能としては血液から老廃物や余分な水分をろ過して尿にする働きがあります。当然この老廃物をろ過する機能が低下すると肉体的にはよろしくない状況になるのですが、私は生まれた段階で腎臓が通常より小さかったらしく、腎臓の処理能力が低い状態となっていました。*1

 治療としては食事のコントロールや化学療法が挙げられますが、行きつくところまで進むとよく聞く人工透析腎移植という段階へ進んでいくこととなります。

私は4歳の時に父親からの提供を受ける形で腎移植手術を施行、東京都内のある病院で3か月ほど過ごし、退院したのちも約2ヶ月*2関東某所で過ごしました。

その後安定期を過ごしますが安定は永遠には続くものではありません。自身が病気であることは当時子どもなりに分かっていたのですが、緩やかながら状態は悪化。生活習慣も祟り検査データも悪化、危機が迫っていました。透析の検討が進む中臓器移植ネットワークに登録し両にらみの体制を敷くとことなりました。

結果的に提供いただけるドナーの方が見つかり2度目の移植手術を施行、丸1日以上を経て手術は終了。夏休みを丸々病院で過ごし退院。10代半ばのことでした。

脳死に伴う臓器提供という大変重い決断を受け入れた名前も知らない方々には感謝してもしきれません。

その後体調悪化等による入院をするなどがありましたが現在は1人の社会人として通院・服薬を続けながら歩み続けています。

それぞれの人で病気に対する多様な捉え方がありますが、私が抱える病気は「治す病気」ではなく「生涯抱え続ける、共存して付き合い続けていく病気」なのだと今の私なりに思っています。ある意味でいかに「彼」の機嫌をうまくとっていくかがこれからの鍵であり、少しでも長く安定した日常を続けていく鍵かなあと思うところです。ある意味で「病気に勝つ、克服する」よりは「一緒に暮らしていく」といったところでしょうか。

病気によってできなかったこと、周囲の同年代の人々とは違う道を歩んだ一方で、病気だったからできた経験、出会えた人、今に続くもの(自分が興味を抱いたもの)が私のなかに多くあることも病気に対して一概に否定的な態度にならない一つの要因かなとも思うわけです。

 

何かしら自身での解釈を自分なりにまとめたくてこんな文章を仕立ててみました。下手くそで読みにくい長文ですが…。もうちょっと書けるとこはあるのですが文章をきれいにまとめきれない&ある種の身バレが怖いのでこのぐらいにとどめておきます。

2記事目から重い内容ですが読んで頂いてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:このあたりの話は両親に少し聞いたり当時父親が病院とのやり取りを記録していたノートを見た程度であまり詳しくは知らないのです...

*2:覚えてはいるがなんせ幼い頃の記憶..ただ当時担当の看護師さんが付けていた記録を見返したり、当時自分が家族に言った内容等強く印象に残っていることもあります。